『田園の詩』NO.69 「無人販売所」 (1997.7.8)


 道端の小屋に値段の付いた野菜などが並べられてあり、受け取った分の金額は備え
付けのカン(または箱)に自分で入れる。売り手はいない。商品やお金は置いたまま。

 こんな≪無人販売所≫を私が初めて見たのは、もう三十年近い前のこと。奈良県との
境に近い京都府相楽郡の浄瑠璃寺から岩船寺にかけての道すがらでした。

 上洛したての私には、故郷・国東地方では一度も目にしたことがないこの販売方法に、
強いカルチャーショックを覚えたものです。

 私に限らず、「無人販売所なんて自国では考えられない」との驚きや称賛の声を外国
の人から何度となく聞きました。

 日本だからこそできるといってもいいこの無人販売所、当地・国東地方でもたくさん見
かけるようになりました。

 数多くの素晴らしい石仏や寺院のある≪み仏の里≫国東は、昔は半島を一周するだけ
でも大変でした。陸の孤島とまでいわれていましたが、道路網の整備に伴い縦横に動き
回れるようになりました。人の(車での)往来が多くなるにつれ、無人販売所も増えて
いったようです。

 通りがかりの無人販売所を覗いてみると、いま旬の夏野菜でいっぱいです。キュウリ、
ナスビ、ダイコン、タマネギ、ジャガイモ、カボチャ、シシトウ、インゲン豆…たくさん
の野菜に安い値段が付けられています。聞くところによると、売れ行きも上々だし、計算
もほとんど合っているとのことでした。


       
      目に付く様に鉢植えの花を並べています。掃除も行き届きとても
      奇麗な販売所です。最近は、スーパーなどに地元の生産者コーナーを
      設けているので、そちらも賑わうようになりました。 (09.2.26写)


 現在、都会(中央)には無人販売所はあるのでしょうか。時代の変化とともに人の心
も変わり、もう少なくなっているのではないかと思います。

 反面、昔なかった田舎(地方)には、いま、そこここで、たくさん見かけることがで
きます。しかし、田舎でも将来少なくなると思います。過疎が進み野菜の作り手がいなく
なることによってです。

 人間同士の信頼によって成り立つ無人販売所に出会うと心が和みます。そんな田舎
の光景がいつまでも続くことを願ってやみません。      (住職・筆工)

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